父の日の由来・意味・語源
母の日に隠れて少し印象の薄い父の日。でも実はとっても素敵な日なんです!意外と知られていない父の日についてご紹介します。
父の日の時期
父の日は6月の第3日曜日、つまりその年の6月15日~21日のうち日曜日に該当する日となっています。
父の日の始まり
1909年、アメリカ・ワシントン州のジョン・ブルース・ドット婦人の提唱により広められました。妻に先立たれ、ドット婦人やその兄弟6人を男で1つで育ててくれた父「ウィリアム・ジャクソン・スマート」。その父の誕生日の6月に、教会の牧師に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われています。
当時はすでに「母の日」が広く認知されており、父親に感謝する日もあるべきだと考えたドット婦人は「母の日のように、父親に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願。1916年(当時のアメリカ合衆国大統領はウッドロー・ウィルソン)には一般に認知されるまでに広がります。さらに1972年(昭和47年)になると、アメリカでは国民の祝日に制定されるまでになります。
日本でも1950年(昭和25年)頃から広まり始め、現在のように父の日を祝うまでに一般的になったのは1980年代です。ちなみに、母の日がカーネーションなのに対し父の日は白いバラ。これは、ドット婦人が父の墓前に白いバラを供えたから、とされています。
制定までの道のり
1909年に提唱し、1916年に認知されるまで実に7年も月日を要しています。何故ドット婦人がここまでして父の日の制定にこだわったのか。それは彼女の父「ウィリアム・ジャクソン・スマート」に深く関係しています。
1861年4月12日、南北戦争が勃発。彼女の父は軍人であり(階級は軍曹)、兵士として召集されました。この戦争は4年間も続き、その間は彼女の母親が1人で家庭を支えなければなりませんでした。ドット婦人を含む6人もの子どもを育てるのは想像以上にハードであり、父親の復員後、母親は過労が元で亡くなってしまいます。
それからは父親1人が子ども達の面倒を見ることになります。戦地から帰ったばかりで、いきなり6人の面倒を見ることとなった父。それはもう、相当の苦労があったと思われます。
しかし、父親は誰とも再婚することなく男手ひとつで子ども達を育て上げました。この立派な父親に感謝した末っ子のドット婦人が、「父親に感謝する日」を作って欲しいと申請。7年という長い月日はかかりましたが、1916年には広く知られるまでになりました。
それから56年後の1972年には国民の祝日に制定。父の日が出来るまでの背景には、優しく立派な彼女の父と母、そしてドット婦人の努力。さらには国民全体の「父親に感謝しよう!」という気持ちがあってこそ実現できた、素敵な日なのです。
世界の父の日
日本では6月の第3日曜日が父の日と定められていますが、世界では様々な日が父の日に該当します。
1月6日 | セルビア |
2月23日 | ロシア |
3月19日 | アンドラ、ボリビア、ホンジュラス、イタリア、リヒテンシュタイン、ポルトガル、スペイン |
5月5日 | ルーマニア |
5月8日 | 韓国 |
5月の第3日曜日 | トンガ |
5月の昇天日 | ドイツ |
6月の第1日曜日 | ルーマニア |
6月5日 | デンマーク |
6月の第2日曜日 | オーストリア ベルギー |
6月の第3日曜日 | 日本、中国、プエルトリコ、アメリカ合衆国、インド、イギリス、カナダ、チリ、コロンビア、コスタリカ、フランス、トルコ、ペルー、スロバキア、南アフリカ共和国、シンガポール、ウクライナ |
6月17日 | エルサルバドル、パキスタン、グアテマラ |
6月23日 | ポーランド |
8月の第2日曜日 | ブラジル、サモア |
8月8日 | 台湾 |
9月の第1日曜日 | オーストラリア、ニュージーランド |
10月の第1日曜日 | ルクセンブルク |
11月の第2日曜日 | フィンランド、ノルウェー、アイスランド、スウェーデン |
12月26日 | ブルガリア |
1909年のドット婦人の提唱より、これだけの国に父の日が伝わっています。父の日の由来を知っていれば、よりいっそうお父さんへの感謝の気持ちが深まりますね!